佐々木幹郎さんがお書きの書評で感服したことをひとつ書いておかう。
佐々木さんは以下のやうに書いて下さつた。
「40年近く経って、高遠弘美の完訳『Oの物語』を読んだ」(算用数字になつてゐるのは掲載誌の都合)
「高遠氏による新訳は、……」
私はこれを拝読して、佐々木さんの日本語に対する真摯な姿勢に打たれた。これはたしか高島俊男も書いてゐたと思ふけれど、「氏」を使ふのは本来「名字」に限られる。氏名に「氏」を附けるのは目障りであり耳障りでもある。私もできうるかぎり、「氏」は姓氏のみに用ゐ、フルネームの時は「さん」を附けるか呼び捨てにするかにしてゐるのだが、さて、これが実はなかなかむつかしい。佐々木さんはそれをごく自然に使つてをられる。げに文学者の言語感覚はかうでなくてはならぬ。かういふことをどうでもいいと思ふ方は、少なくとも文章に関して私とは考へを異にする。言葉に関しては、かういふことにも神経を研ぎ澄ますことが必要なのであり、それを私は今回の佐々木幹郎さんの書評に改めて教へて頂いた。幾重にも感謝申し上げる所以である。