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「江戸文藝・志怪・プルースト――極私的幻想文学」 2003 「幻想文学」も早二十年になるといふ。うたた今昔の感に堪へない。幻想文学の現在及び未来についての本格的論考は他の方々にお任せするとして、しばし私事を連ねることをお赦し頂けるだらうか。幻想文学研究の門外漢としては、極私的な思ひ出話から始めないと何も語れないやうな気がするのだ。 二十年前と言へば、大学院にいつまでも籍だけ置いてごろごろと、フランス語の非常勤講師でその日暮らしをしてゐたころであり、関心はもつぱらプルーストに向けられてゐたから、他の寄稿者の方々とは大違ひで、幻想文学に対する知識のみならず、そのはつきりした観念もなかつた。せいぜいマルセル・シュネデール『フランス幻想文学史』で「幻想文学の巨匠」と高く評価されたピエール・マッコルランを読み漁り、友人らと『金星号航海記』を訳してゐたくらゐ。その一方で、「早稲田文学」「久生十蘭特輯」に雑文を寄せたり(鈴木貞美責任編輯。一九八三)、そのすぐあとに鈴木氏が中心となつて始まつた「新青年研究会」に所属し、月一回程度の例会に出ながら、「新青年」研究の末席に連なつたりしてゐた(その会の成果は第一回大衆文学研究賞を受けた作品社刊『新青年読本』に結実した。さらに括弧に挟んで記しておけば、その会で乱歩の「D坂殺人事件」が採り上げられたとき、ポーの「モルグ―言ふまでもなく「死体安置所」の意である―街殺人事件」との関係から「D」はDeathだと素朴に信じてゐた私は、Dイコール乱歩の住んでいた「団子坂」とする「大衆文学研究者」と出会つてその私小説的解釈に呆然としたことがある)。敬愛する中井英夫の謦咳に接したのもそんな例会の折であつた。当時私は内田百■《門に月》や中井英夫を愛読してゐて、その話を非常勤先の私立女子高校のフランス語の授業の餘談に紛れてしたゆゑでもあらうか、すぐさま教師顔負けの熱狂的な中井英夫ファンの高校生が生まれた。それだけならご愛敬だが、彼女たちはあらうことか、中井邸に押し掛けていつたといふのである。蛮勇ときに尊ぶべし。私が名前を申し上げると、中井氏は「ああ、あなたが」と言つて、女子高生数名が突然来襲したなりゆきをまんざら厭でもなささうに話して下さつた。もつとも、私はすつかり舞ひ上がつてしまひ、そのあと何を話したかまるで記憶にないのだが。 もうひとつこれまた極私的な回想を赦して頂けるなら、幻想文学との関はりははるか昔、少年の頃の鏡花耽読とも繋がつてゐる。明治生まれの亡母の遺したわづかな蔵書に戦中の鏡花全集の零本があつて、それははきと判らぬままに少年の日の私の愛読書となつた。長じてのち、フランス文学を専攻しながら、江戸の文藝に何の抵抗もなくのめり込んだ裏にはさうした体験があつたのかも知れないと今にして思ふ。(続く)
by romitak
| 2010-11-13 14:50
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