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いまパリは十一月十八日日曜日の夕方です。
マルセル・プルーストの命日です。 1922年の十一月十八日、プルーストはこの世を去りました。 私がプルーストの新潮社版全訳を手に入れたのがちやうど五十年後の1972年の今日です。 私は二十歳でした。 以来、プルーストに導かれてここまできました。それから四十年の時間が経ちます。 プルーストが他界して九十年といふ月日が流れました。 私のプルーストはまだこれから先、久しく続くはずです。 皆さまのご多幸をお祈り申し上げます。 #
by romitak
| 2012-11-19 02:01
加藤雅郁さんの葬儀の日程を知らせて頂きました。
加藤さんのことをご存じの方々に、一人でも多く伝はりますやうに。 日時 通夜式 11月4日 18時から 告別式 11月5日 12時30分から13時30分まで 場所 埼玉県川口市西新井宿603-03 中央福祉葬祭 本社式場 電話048-281-3771 フリーダイヤル0120-594-294 南北線 浦和美園行 新井宿下車 徒歩19分 #
by romitak
| 2012-11-02 23:26
悲しい事実を書かなくてはなりません。
私の若い友人、加藤雅郁(まさふみ)さんが日本時間の日曜日の夕方、くも膜下出血で倒れ、治療の甲斐なく、やはり日本時間で申しますと、今朝(金曜日)の一時十九分に亡くなりました。倒れる二時間前に私にくれたメールがメールとしては最後になつたやうです。もしかしたら恢復するのではないかと祈るやうな気持ちでをりました。いまは心引き裂かれるなかで、故人の冥福を祈りつつ、加藤雅郁さんのことを少しだけでも書いておかなくてはといふ思ひになりました。 加藤さんは北海道出身で、早稲田の仏文科の私の後輩に当たります。博士課程修了後、いくつもの大学でフランス語を教へてゐました。今年で五十歳をいくつか超えたくらゐだつたと思ひます。最初に出会つたのは、加藤さんが大学院の修士課程の頃だつたでせうか。四半世紀を超えるつきあひになります。その頃、彼は久間十義さんと一緒の塾で教へたりしてゐました。絵に描いたやうな好青年で、年長者には礼を失はず、学生には理想的な教師として接してゐました。 1990年代の初めででせうか、当時私も引率教師として参画してゐた日仏文化協会のフランス研修旅行の引率を一度だけご一緒したこともありました。フランス語の会話を、加藤さんほど自然にこなす人はほとんどゐなかつたのではないでせうか。ここ十年ほどは、学生を募つて、ボルドーやコルシカの葡萄摘みの仕事を手伝ふといふ他にない旅行を主宰。当地のワイナリーの人々とも親しく交流がありました。 一方、フランス語教科書や入門書でもいい仕事をしました。最近では翻訳に力を注いでゐて、『印象派絵画と文豪たち』『ビデの歴史』(ともに作品社。「ビデ」の解説は私)を出したほか、分厚いフェチシズムの本を、やはり私の親しい友人である千葉商科大学教授の橋本克己と共訳をしてゐました。それはすでにゲラが終はつて、一月にでも作品社から刊行されるはずです。さらに、ワインの本の翻訳も仕上げてゐたとのことで、それがどうなるかは今の段階では何も申し上げられませんが、本人も力を注いだ仕事だつたと思ひます。 遺された奥さまとお嬢さまやお兄さまをはじめご家族ご一同さまの悲しみが如何ばかりかを思ふと、私もけふはこれ以上筆を進めることができません。ただひたすらに、加藤さんのご冥福を祈りつつ、擱筆いたします。 追記 そのご判明したことを書きつけておきます。 亡くなつたのは、一時ではなく、七時十九分でした。電話でのやりとりで聞き違ひがあつたのだと思ひます。謹んで訂正いたします。 #
by romitak
| 2012-11-02 15:35
フランスの銘柄牛にSalers(サレルス)といふ牛がゐて、肉質が上等でともかく美味である。リヨンにゐたときは、中央市場まで足を伸ばし、M.O.F. Meilleurs Ouvriers de France「フランス最優秀職人賞」の称号を持つ肉屋に行つて、まさにその職人に頼んでSalersの肉を買つては自分で調理してゐたのだが、パリでは市場は遠いし、近隣の肉屋では知る限り扱つてゐないから、やむなくインターネットで検索して、Salersを食べさせる店を書き出し、一軒一軒食べ歩いてゐるうち、これはといふ店にあたつた。メトロで三つ目の駅から徒歩三四分にあるその店は如何にもパリらしいこぢんまりとした店で、席と席がぴつたりくつついてゐる。そこに腰を落ち着けて食べたのはSalersのシャトーブリアン。これは今回パリに来て食べた牛肉で一番美味しかつた。肉質、肉汁、焼き加減、すべて申し分なし。ただ今回、その肉のことはあへて細かく書かない。もつと面白いことがあつたからである。
昼間行つたのだが、比較的空いてゐたこともあつて、三人のギャルソンが代はる代はる話しかけてくる。かういふときにギャルソンと軽口をたたき合ふのはまことに愉しい。肉も旨くて雰囲気もよく、これならまた来ようと思ひ、勘定を済ませて店を出ようとしたその刹那、ひとりの年輩のギャルソンが私の肩を掴んで、「しばしお待ちを」と言つた。何か忘れたかしらんと思つて振り向くと、出口附近に置いてあつた一冊の本を採り上げて、これは面白いから、もしご存じなければぜひお読みなさいといふ。初めて来ただけでなく、もしかしたらもう来ないかもしれない客にさて、何を勧めるかと思つたら、 Amélie Nothomb: Stupeur et tremblements だつた。ギャルソンは滔々と熱弁をふるつてこの小説が如何に面白いかを説き続ける。これは読まなくてはといふ思ひに駆られて、帰宅してすぐに通販で注文した。映画化もされてゐるといふので、そのDVDも註文。序でに面白さうなその著者の他の本も注文した。 フランス語はきはめて平易。これなら初級を終はつた学生なら辞書を引きながら読むことが出来るだらう。フランスでは、解釈の問題附きの学生用テキストとしても出版されてゐる。 その後、いろいろ調べてゐたら、すでに作品社から十年ほど前に翻訳されてゐることがわかつた。邦題は『畏れ慄いて』。著者名は「アメリー・ノートン」となつてゐる。映画も横浜映画祭で公開されたものの、一般公開にはならなかつたらしい。大使の娘として日本で生まれた著者(ベルギー人)が、成長して日本に再び戻り、日本の商社で働くやうになつて、さまざまな軋轢を通じて、ほとんど心身共に壊れさうになつた挙げ句、最後はベルギーに戻つて小説を書き……といふ話である。誇張が甚だしくて、まさかこんな会社は日本にあるまいと思ひつつ、しかし、現下の「維新の会」などをみてゐるとこれは深層で日本社会のある本質に行き当たつてゐるかもしれないと思ひなほした。上位者への盲目的服従、非論理的な誹謗中傷、根本的な信頼関係の欠如、異質な存在を認めず排斥する姿勢……。 フランスではベストセラーになつた。作者もフランス語圏では人気作家である。最近も新刊の広告を街中の広告塔で見かけた。日本では邦訳六冊。作品社、文藝春秋、中央公論社がそれぞれ二冊づつ出してゐる。 それにしても、初めて行つたレストランのギャルソンに本を薦められたことはいまだかつてない。かういふ愉しい経験はたぶん二度とないだらう。 なほ、本書のなかで、主人公が陰湿ないぢめに遭ふときに、コピー機の話が出てくる。九十年代の初め頃の日本の商社が舞台だから、最新のコピー機とは違ふのだらうが、avaleuse de la photocopieuse(わざと翻訳ソフト風に直訳すると「コピー機の、呑み込む女」)といふ言葉が出てきた。これはさすがに辞書にはないことばで、「自動原稿送り装置」、いまで云ふADF オート・ドキュメント・フィーダのことである。 もうひとつ追記で書いておかう。作品社は私も何冊か翻訳を出してゐる出版社で、いまの編集長の内田さんとは昔からの長いつきあひである。早速電話で(といふかスカイプで)このことを話したのだが、著者は昨年来日して、内田さんはともに食事をして歓談したといふ。そんな話も私にはことのほか愉快だつた。 #
by romitak
| 2012-09-11 21:34
続けて今度は飲み物の話を書きますが、どうか読み捨てるか通り過ぎて下さい。いつものやうに下らない話です。
−−−− どういふ風の吹き回しか、七月後半のある日からワインをほとんど呑んでゐない。それまで一日一本は呑んでゐたのが、その日を境にぷつつりとやめた。けふまで呑んだのは三回のみ。七月のその日、私は腹を壊して病院に行つた。今までなら治れば平然と呑み続けてゐたのだが、今回は違つた。あへて断酒・禁酒をする気もないのに、呑みたくなくなつたのである。病院から帰つて横になつて休んでゐるとき「客死」といふ言葉が脳裡に浮かんでは消えた。パリの独居生活で知らぬ間に息を引き取つてゐたなどといふのは、甚だ面白くない。さういふ思ひも根柢にはあつたかもしれないけれど、ともかく呑まない日が続いてゐる。それが出来るのも発泡性のミネラル・ウォーターがあるからだといふ気もするのだが、昨夜初めて行つた店は、パリの観光局が出してゐるグルメガイドにも載つてゐる、比較的近所の、歩いて行けるイタリア料理の店で、予約をしたからからうじて座れたくらゐの人気店だつた。 最初はこのところの習慣に従つて発泡性の水を呑んでゐたのだが、最初に頼んだモッツァレラを中央にどつさり載せた料理がともかく旨い。これはワインを呑んでもいいかなと思つて、以前ならボトルで頼んだらうがここは私としては控へ目に、 Un pichet de vin rougeを頼んだ。いはゆるキャラフェである。ふつうの店はピシェ用のワインは一種類しかないのだが、ここは何種類もあつていかにもイタリア人といふ中年の女性が訊いてくる。軽くて薫り高いといふので、お勧めどほり、Albarossa にした。ふつうは陶器の壺か、ガラス製の容器に入れてもつてくるところを、この店では、底の厚いガラス瓶でもつて来た。500ccとその女性は言つたけれど、これは通常460ccしか入らないはずで、そのあたりごまかしてゐるといふほかないのだが、この瓶が懐かしかつた。 それはリヨンで、pot(ふつうは壺とか鉢の意味)と云はれてゐるあの地方独特の瓶だつた(写真はウィキペディアから借用)。以前リヨンにゐるときこの瓶に入つたワインはよく呑んだから、かなり気に入つて、リヨンを発つときその空瓶を買つて持ち帰つた(いま大学の研究室の机の上に置いてある)。 四月にパリに来て、いろいろな店に行つたものの、この瓶には絶えてお目にかからなかつた。まさかのイタリアンでの再会である。pichetにしてはいささか値が張つたけれど、まあ味もよかつたから良しとせねばなるまい。ただし、またけふからワインを飲まない日が続くと思ふ。 ちなみに、ワインだけでなく、ビールもリカールも呑んでゐない。日本にゐる私の友人・知人はきつと驚倒することだらう。あの呑兵衛がどうしたのかと。 補記 pot lyonnaisの底の厚さがよくわかる写真がありました。 #
by romitak
| 2012-09-10 17:42
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