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六日金曜日の朝日新聞、関西版に住大夫師の記事が載つた。産経の記者の方が自宅にファックスで送つてくださつたし、ホテルでもその新聞はもらつてゐたので、資料としては手許にあるのだけれど、かういふ記事は全国版で流してほしいと思ふ。今回の大阪、住大夫師の桜丸切腹は絶品だつた。これぞ藝。
渡邊一考さんが「ですぺら掲示板」の「植物のざわめき」といふ記事で、拙訳プルーストについて書いてくださつた。http://www.despera.com/bbs2/ 過褒のお言葉に恥ぢ入るばかりである。せめては少しなりとご期待に添ふべく、精進を続けたいと切に思ふ。一考さん、本当にありがたう。御身くれぐれも大切に。
十二月八日、プルースト『失はれた時を求めて』第二巻が発売になつた。お楽しみ頂ければ幸ひである。
佐々木幹郎さんの新刊詩集『明日』は、二十一篇の詩を収める。内、四篇が震災後に書かれた作品である。「この椅子に座って」「鎮魂歌」「明日」「風のなかの挨拶」といふ題を附けられた四篇は、震災後に日本語が持ち得た貴重な果実としてこののちの人々にも読み継がれてゆくだらう。
「風のなかの挨拶」をすべて引いてみる。 ねむる月 なお ねむる月 おさない葉の 枝の風を抜けて 夢乱れて 泣くなら 泣け 千のピアノ 千のヴァイオリン 生まれたての やわらかな黄緑の葉をさわり 愛が人間のなかに入り込むときの なんという奇妙な瞬間 猫 尾を立てて歩き 挨拶する あなたに こぼれちる風の向こうの あなた 生きる水 あふれる 音ひくく うた遠く 知らないうちに 笛と太鼓が鳴り 笑い声が 扉を開けて 次々と扉をあけて 鉦は鳴る 欲しいものすべて 四月の大きさ 五月の深さ 六月の強さ 芽吹くときの やさしさ すべて なんといふ言葉の使ひかたであらう。三行目の「おさない葉の」で心打たれぬ者は詩を読む力がないといつていいと思ふが、とくに、そのつぎの「枝の風を抜けて」と「泣くなら 泣け」と続いたあとの「千のピアノ 千のヴァイオリン」。これはみごとといふしかない。まさに詩の言葉として目の前に立つ。 私たちの言葉はかつてかうした響きをもたなかつた。一行一行の言葉の音と姿と意味内容とが十全に外にむかつて光と一体になつて発せられ、しかも、それ以外にはない個体としての言葉の重なりとなつて読む者に迫つてくる。これが詩なのだ。かういふ言葉の連なりが詩である。 佐々木さんは今回の詩集で、震災後に詩を書くことの意味を追究したはてに、かうした表現に行き着いた。私はいま、心から思ふ。詩がこれだけ混迷をむかへ、詩ならざるものを詩と称するものがあまたあふれる世にあつて、佐々木幹郎さんといふ詩人がゐるといふことがどれだけ、言葉に携はつてゐる者(たとへば私)を根柢から励ますかといふことを。これは私がたまたま佐々木さんを個人的に存じ上げてゐるがゆゑの言葉ではない。といふより、かう云へばいいか。私は佐々木幹郎といふ詩人とたまたま同時代に生き、佐々木さんの紡ぐ言葉で励まされ、言葉に対する信頼を取り戻したのだ、と。私のプルースト第二巻ができあがつたのも、佐々木さんに明治の大学院で特別講義をして頂いたことが大きな励みとなつてゐる。こたびの震災でまつたく無力感を味はふことがなかつた文筆家といふのは存在そのものが信じがたい。みな、その絶望感から立ち上がつてきたはずなのだ。 今回私は震災後の詩について書いたけれど、震災前の詩もすばらしい。個人的な好みで云はせてもらへば、「珊瑚の岩の神の」「エビアンの叔父」「岩と死者」「不滅あるいは囲むということ」「飛沫論」「春から夏へのハープ」は真正なる傑作である。かういふ詩をもてたといふことは私たちの幸ひである。
佐々木幹郎さんの新刊詩集『明日』をご恵贈頂いた。これは近年の最高の収穫といつていい。これは私が佐々木さんを存じ上げてゐるといふこととは関係ない。来週、もう少し詳しく書く。思潮社刊、間村俊一装訂。二千八百円。これは震災後に書かれた言葉のなかでも特筆すべき仕事である。
けふは明治大学大学院教養デザイン研究科博士後期課程の学生のための特別講義の三回目がある。講師は古屋美登里さん。お忙しいのに引き受けてくださつた。安藤礼二さん、久間十義さんに続いて三人目の書評講座。
教養デザイン研究科はまだ発足して四年しか経つてゐないが、特別講義の講師として私がコーディネートしただけでも、東雅夫さん、久間さん(今回で二回目)、佐々木幹郎さん、安藤礼二さん、古屋美登里さんといふお歴々においで頂いた。商学部では佐藤亜紀さんの特別講義を四年続けることもできた。 これも講師をお引き受けくださつた方々と、私の周囲の先生方のご理解とご支援あつての賜である。あへてこの場に記して感謝を申し上げたい。古屋美登里さんには商学部で来年もお世話になる。ありがたいことである。
さまざまな都合で随分遅くなつてしまつたけれど、 光文社古典新訳文庫刊、拙訳プルースト『失はれた時を求めて』第二巻の発売日が決まつた。十二月八日に店頭に並ぶ(見本は十一月中に出る)。引き続き、続く巻の翻訳に励むつもりである。精緻きはまるプルーストの言葉を堪能して頂ければ幸ひである。
かつての私はひたすらに花鳥風月を称へ、「紅旗征戎非吾事」と呟いて、醜い政治のことなど無視してゐた。ツイッターでもブログでもなるべくならその道から外れたくないとは思ふ。されど、原発事故以来、政治の批判を避けてゐては、後世に対する責任を抛棄してゐるのではないかと思ふやうになつた。
一介の大学教師、あるいはプルーストの訳者に過ぎない私が何かを云つたとしてもそれは蟷螂の斧にもならないことはよくわかつてゐる。しかしこのところの政治の動き、メディアの動きには異常なものを感じないではゐられない。 学生たちに限らず、若い友人を見てゐて思ふ。失業率が下がらず、まじめに努力してゐても就職できない、米国の圧力に負けて必要も無いのに「英語偏重」を声高に叫ぶ社会の渦に巻き込まれ、私のやうにフランス語で生計を立ててゐるロートルとは違つて英語に叛旗を翻すこともできない、といふのでは、結局私たちが彼らを大切にしてゐないのと同義だらう。原発の負の遺産、米国支配を唯々諾々と受け入れる「有識者」といふ亡国の徒の群れ、権力批判を忘れたマスコミ。彼ら、既得権益だけを守る守旧勢力に共通してゐるのは、これからの時代を生きて行かなくてはならないのは若者たちであり子供たちであるといふ、基本的で人間的な認識の欠如ではないかといふ気がしてならない。天変地異は宮沢賢治の生きてゐた時代にも岩手地震、大津波といふかたちであつた。しかし、今回の震災は、原発があることでさらにひどいものとなつてゐる。今の世に生きる人間たちがみなゐなくなつてからも放射能は害を及ぼし続ける。 電力会社とその利権に群がる者たちを指弾し続けることが必要だと思ふし、怒りを忘れてはならないとも思ふ。「決シテイカラズ」は、それを書いた賢治がどれほどすばらしい天才であつたとしても、いま私たちが帰るべき言葉ではない。それを私は銘記したい。怒りをもつて現下の政治を見つめなくてはいけないと思ふのである。このところ本を読みあさつてTPPの勉強をしてゐるのだけれど、すればするほど、これは絶対に交渉参加するものではないといふ確信が強まつてゆく。私として正直なところを云へば、早く花鳥風月の世界に戻りたいのではあるのだが。
先日、大学の同級会で、今まで犬を飼つたことしかないが、このたび、長年連れ添つた犬が死んだので、次は生涯ではじめて猫を飼はうかどうしようか迷つてゐるといふ話を聞いた。
猫派の私ではあるけれど、子供の頃、一時犬と猫をともに飼つてゐたことがある。長じてのち、犬か猫を飼ふことになつたとき、迷はず猫を飼ひ、そのまま三匹目のシャルトリュー種を飼つてゐるのだが、ときどき犬を飼ひたくなることがないではない。 ここ二日ほど続けて、飼ひ主が引つ張るリードに必死に抵抗してゐる犬を見かけた。足を前に突つ張つて、いつかな動かうとはしない。といつて、飼ひ主をにらみつけるでもなく、ただ引かれるままに動くのを拒否してゐるやうに見える。その場を通り過ぎても、何だか妙な連帯感を感じて何度も振り返つた。犬のどこに引かれるかが何となくわかつた気がした。人間になつくといふところよりも、さういふ点で頑固一徹なところをときに表に出すところがいい。むろん、犬派の方はそれをいいとは云はないだらうけれど。
けふは1970年入学の、早稲田大学第一文学部O(オー)クラスの同級会にゆく。五十五人中、五人が鬼籍に入り、残りの五十人の内、二十八人が集まつた。一度か二度、何人かで集まつたことはあつたけれど、これだけの人数は初めてである。幹事の人たちの苦労が偲ばれる。
そろそろ定年を迎へた人もゐれば、自営業の人もゐる。話をしてゐるうちに、昔の思ひ出が蘇る。二次会にも顔を出す。 みなかつて文学を志した者たちばかりである。さすがに青臭い文学談義はなかつたけれど、志の高さを感じる発言もいくつかあつて、かういふ集まりもいいものだと思つた。出席した人たちばかりでなく、けふ来られなかつた同級生たちの健康をここにても祈りたい。
光文社のサイト内「古典新訳文庫・続刊案内」にやうやく出た。http://www.kotensinyaku.jp/nextnumber/index.html
もう少しで刊行する。いましばしお待ち頂ければ幸ひである。
大学院教養デザイン研究科博士後期課程のある授業にお招きする三人の外部講師の方々のトップを切つて、明後日の火曜日、安藤礼二さんのご講義が和泉校舎で行はれる。三人の先生方には薄謝で申し訳ないが、院生たちは今から愉しみにしてゐる。久間十義さん、古屋美登里さんがあとに続いて下さる。コーディネーターとしてこのやうな方々にご快諾頂いたことを大いに喜んでゐる。
せつかく貴重なお書き込みを頂きましたのに、このところログインをしておりませず、御礼が遅くなり、まことに申し訳ございませんでした。お言葉、たいへん嬉しく拝読いたしましたが、同時に身の引き締まる思ひでございます。
現首相については、脱原発のやうなことを言つた舌の根も乾かぬうちに、再稼働や輸出を公然と云ひ出すのですから、まつたく信用がなりません。よほど気をつけて注視して行きませんと、とてつもなく危険なことが待つてゐるやうな気がいたします。心配性のわたくしの杞憂でなければよろしいのですが。
けふは父の命日である。四十九年目になる。
私は父がかなりの年配になつてから生まれたといふこともあつて、壮年までの父についてはまつたくといつてよいほど知らない。父が十九世紀の生まれであり、芥川と七歳しか違はず、石川淳より二歳年上だつたといふことはずつとあとになつて知つたことで、小五のときに他界するまでの父は大酒飲みで、頑固一徹、それなのに遅く生まれた私には滅法甘いと思ふと、この子は大きくなつたら自衛隊に入れるなどと言つてゐた記憶くらいしかない。いや、掘り起こせばそれ以外にも思ひ出す記憶の断片はある。鑑札があつたので、毎晩のやうに千曲川に投網漁をしに出かけ、朝私が起きると、氷を入れて冷やす冷蔵庫の中が川魚でいつぱいになつてゐたとか、上田の庭球倶楽部の創始メンバーの一人で、皇室の誰それが視察に来たとき、畏まつた様子で写真に収まつてゐたとか、ここからあとは伝聞だけれど、戦前は信州上田で初めてメロン農園を始めて見事に失敗したとか、昭和十年代は東京の奥沢あたりに住み、麻布に店を構へて羽振りがよかつたとか、貴金属供出となると、もてるもののほとんどを供出して、貧乏になつて故郷の上田に帰つてきたとか、借金の保証人になつて、騙されてひどい目にあつたとかその他もろもろ。私の覚えてゐるかぎり、父は世故に長けて、といふ逆で、人情家でお人好し、そのくせ怒りつぽく、短気でせつかち。とても生きるのが上手とは云へなかつたやうに思ふ。本はまつたく読まなかつたが、古いレコードには邦楽がかなりあつたのをかすかに覚えてゐるから、あるいは私がいま住大夫師の浄瑠璃にのめり込んでゐるのも、父の遠い記憶を辿つてゐるといふことなのかもしれない。それとも邦楽のレコードも母のものだつたのか。父が死んだ朝の記憶ははつきりと残つてゐる。それは今後も忘れることはないだらう。私は父が好きではなかつたが、この年になると、母はもちろんのこと、父からも多くを引いてゐるやうに思へるやうになつた。父母ありての私。それをつよく感じる昨今である。
これは私見である。誰かの言葉を引用するときは、皆がその言葉を知つてゐる場合を除けば、出典を書く(云ふ)のが親切だらうと思ふ。
とくに、耳で聞くだけのときに、他の熟語と混同するやうな場合は、出典を云ひ添へるのが引用の作法といふものだらう。「せいしんせいい」と耳で聞いて「誠心誠意」以外の字を思ひ浮かべる人の数はごく限られてゐる。もしどうしても通用の字と違ふ言葉を云ひたかつたとすれば、たとへば、「勝海舟のいはゆる正心誠意」としないと、正確に云ひたいことはそれを聞いてゐる者には伝はらないのではないか。つまりは内向きの演説といふことであつて、最初から全文を入手してゐる議員や政治記者以外の私たち(耳で聞いてゐるだけの者たち)に正確に届く言葉ではないといふことだ。そこから現首相の発想がほの見えてくる気がするが、それについてはここに書く気力もない。
前項「正心誠意」は勝海舟から首相が引用したといふことがわかりました。我が身の無知を反省するばかりです。
ただ調べてみますと、日本国語大辞典では、十七世紀の用例や西周などの用例で、「誠意正心」はありますが、「正心誠意」は載つてゐません。もともとの出典となつた「大学」での順序からしても「誠意正心」のはうが一般的だつたのかもしれません。首相は勝海舟の、あへて云へば特殊な用語を使ひたかつたのでせうが、いささか奇を衒ふところを感じます。
正心誠意。どうしたらかういふ表記に我慢できるのか。日放協の二十一時のニュースで、字幕に再三出た文字がこれである。テレビ朝日の字幕は昔から誤字が多い。それが日放協まで。ほかのことは知らず、これだけで受信料を払ふのが莫迦莫迦しくなる。どうしてここまで日本語に対して鈍感でゐられるのか。昔、マスコミは就職試験で「○肉○食」を「焼肉定食」と入れた学生をそれこそ莫迦あつかひした。されど、メディアに棲息する者たちに、その学生を嗤ふ資格はない。
みづからがよつて立つ言語を大事に扱ふことなくして、どうして英語重視などするのか。まつたく理解に苦しむ。同様に、日本の大学で学ぶのに英語だけで四年間過ごせるといふ制度をつくらうといふ昨今の大学人にも私は深い憤りを覚えてゐる。日本の大学で学ぶ以上、日本語を学ばせるべきである。いつたいいつからこの国はどこやらの属国になり、植民地になつたのか。
ご子息の福田逸先生(明治大学の同僚であられる。二年間、学部執行部でご一緒した。器の大きな方である)からけふご恵贈頂いた『福田恆存対談・座談集 第二巻』(玉川大学出版部)を読み始める。吉田秀和、鈴木大拙、加藤周一、埴谷雄高、武田泰淳、野間宏、中村光夫、三島由紀夫、小林秀雄、大岡昇平その他、じつに刺激的かつ楽しい対談・座談が続く。鈴木大拙がプルーストの一歳年上であることが何だか不思議である。
42年前の1969年のけふ、夕方帰宅した私の目に飛び込んできたのは意識を失つて倒れてゐる母の姿だつた。すぐにかかりつけの医師に連絡。救急車で病院に搬送された。私は東京の兄たちを待ちながら、夕方から夜半までずつと母の枕もとでひとり祈るやうな思ひでゐた。当時のこととて東京からは五時間はかかる。兄たちが到着したのは夜も更けてからだつた。その数時間後、日附が変はつた十六日の早朝、母は一度も意識を回復しないまま死んだ。外に出ると、よく晴れた夏の朝がいつものやうに始まらうとしてゐた。いつもと同じでなかつたのは、私たちの周りだけだつた。今でもあのときの病室を思ひ出す。母が病室で横になつてゐるのを見たのはそのときが最初で最後である。死因は脳溢血だつた。
今日7月10日はプルーストの誕生日である。
今から百四十年前、1871年の今日(月曜日)、プルーストは当時はパリ郊外だつたオートゥイユのラ・フォンテーヌ街96番地にあつた母親の叔父の家で生まれた。前年に始まつた普仏戦争は、パリ砲撃、パリ陥落を経て、1871年5月のフランクフルト条約(アルザス・ロレーヌ地方割譲、五十億フランの賠償支払ひ)に至る結果をもたらすが、出産を控へた母親がパリを離れて、叔父方に身を寄せたのは、パリの混乱に巻き込まれるのを避けんがためだつた。 ところで、日本では明治5年12月2日(西暦1872年12月31日)まで旧暦がもちゐられてゐたから、日にちがずれるために、上記誕生日は日本の旧暦で云へば、明治4年5月23日に相当する。 新暦と旧暦を勘案して、西暦でプルーストと同年生まれの日本の文学者は、以下の通りである。 高山樗牛、島村抱月、国木田独歩、幸徳秋水、土井晩翠、田山花袋。 一つ上に鈴木大拙、一つ下に島崎藤村、樋口一葉らがゐる。 私が生まれた1952年はプルースト生誕後81年目だから、をかしなことを云ふやうだが、もし、1922年に51歳で他界せずに長らへてゐれば、生きてゐても不思議ではなかつた。前年傘寿をむかへた老人が生まれたての赤子を見るやうなものだらうか。 さて、そんなけふ、私は若い頃にプルーストに出会ふことのできた幸せを改めて思ふ。プルーストに導かれて歩んできた者の一人として、けふの日を心からことほぎたい。
前記、早稲田大学第一文学部(1970年入学)Oクラスの同級会は、いまのところ、十月二十三日(日)になりさうです。個別には幹事の方から連絡がゆくと思ひますが、念のためにここにても記します。旧交を温める絶好の機会でせう。愉しみにしてゐます。
早稲田大学第一文学部Oクラス(1970年入学)のクラス会を秋に予定してゐます。物故者の数もしだいに増えてきました。ここで一度集まらうといふ話になりました。ただ、名簿がほとんどなきにひとしいので、もしこれをご覧になつたら、まづは私までご連絡下さい。
先日の佐々木幹郎さんの特別講義はずば抜けて素晴らしいものだつた。震災ですべての言語状況がかはり、絶望感に打ちひしがれてゐたとき、佐々木さんは、写真美術館で限定上映されたマーティー・グロス監督「冥途の飛脚」を見て、根柢から救はれたといふ。
最初にそのお話をなさつてから、ご自身が詩を書き始めたきつかけについて話されたあと、何とパワーポイントを使ひつつ、「詩人と旅」のテーマに即した実に刺戟的かつ感動的な話を九十分間にわたつてしてくださつたのである。 全体としてとことん考へ抜かれたご講義で、最後には、受講生の望みに応じて、震災後に書かれた「明日」といふ詩を朗読なさつた。 佐々木さんの言葉はどこまでも暖かく、誠実で、上滑りをしない、内実のともなつた大人(たいじん)の風格を感じさせるものであり、居合はせた受講生はこの場にゐられるといふことを心から喜んだことと思ふ。 打ち上げの会では幸運かつ光栄なことに、佐々木さんの横に座ることができたので、さまざまお話を伺ふとともに、佐々木さんから発せられる人間的魅力に包まれた至福の時間を過ごすことができた。二次会はもちろん赤坂の一考さんのですぺら。ここでもまた愉しい時間は続いた。 刊行そのものは来年になるけれど、大学院教養デザイン研究科紀要にこのご講義のことを禿筆ではあるが書く予定である。
すでに書いたことですが、明日七日、明治大学教養デザイン研究科主催の特別講義があります。
佐々木幹郎さんが「詩人と旅」と題してお話し下さいます。 http://www.meiji.ac.jp/humanity/info/2011/6t5h7p0000005eok-att/6t5h7p0000005epk.pdf 明治大学和泉校舎一号館306教室。 16時20芬から17時50分まで。 一般の聴講も歓迎します。
葉紀甫(すゑ・のりほ sue norio)が遺した全口語詩集を入澤康夫先生が一文字一文字打ち込んで、注と補記を緑の字で入れ、印刷製本したのが、こたび私家版として先生がお出しになつた『葉紀甫全口語詩集』である。
いまそれを繙く。大切に繙く。葉紀甫の詩作品についてはまだ語ることが出来ない。仕事のあひまに流し読みをすることを許さない言葉の凛とした佇まひが感じられるからである。そのうちじつくり読み、再読を重ねて、書きつけたいと思ふ。 けふは本詩集の成立について、私が理解してゐるままに記してみたい。葉紀甫は入澤先生の新制松江高等学校第一学年時の「級友」で、合同詩を作成したいはば「同志」であつた。1930〜1993。詩集は四冊のみ。今回の入澤先生のご盡力ではじめて世に出た作品も尠くない。 今回の「全口語詩集」は目次、I 詩誌「光年」発表作品、I−2、詩誌「光年発表作品、II 初期詩篇ノート、III 拾遺詩篇 および補説、III- 2、補説からなる。詩人没後に入澤先生が朝日に寄せられた追悼文も入つてゐる。決定版の詩集である。 今回の詩集作成は先生のまつたくの無償の情熱によつて世に出た。採算とはまつたく無縁の、純粋な詩への情熱と十七回忌を過ぎた亡友への追慕の思ひが結晶した奇蹟的なお仕事である。文学にはまだかういふ奇蹟が可能なのだといふことを読者は痛感するだらう。 有名になること、自分がいつぱしの文学者であると慢心の中で自負してゐる輩にはつひに無縁の文学的世界がここには広がつてゐる。入澤康夫先生ご自身の詩業がどれほどの高みに達してゐるかは人の良く知るところである。 さりながら、先生が傘寿をむかへられてもなほ、これだけ熱くほとばしる詩への情熱と、亡き友への友情をあふれんばかりにお持ちの方だといふことを知つて涙しない者はゐないだらう。 私は今から十一年前の春、明治大学に転じてはじめて入澤先生のご謦咳に触れた。先生とかういふかたちでお知り合ひになれたことを私は心からの喜びと考へてゐる。先生にはくれぐれも御恙なく、ますますのご健筆をお祈り申し上げたい。
このたび、大阪・産経新聞社の格別のご厚意により、同紙における私の連載「プルーストと暮らす日々」が、一週間遅れで関西以外でも読めることになりました。
http://www.kotensinyaku.jp/blog/2011/06/post-107.html 産経新聞社の関係ご各位、並びにこの連載をプルーストの読者に伝へたいと思つた光文社古典新訳文庫編集部のご尽力に感謝いたします。 また、これは少し前からですけれど、白水社「ふらんす」での連載「対訳で読む『失われた時を求めて』」も同サイトで見られます。これは白水社編集部の格別のご厚情の賜物です。このやうに、みなさまに支へられての、高遠訳プルーストです。心より感謝するとともに、少しでも文学の翻訳としてふさはしい形を追求して参ります。ご支援のほど何卒よろしくお願ひ申し上げます。
佐々木幹郎さんの特別講義のポスターができ上がつた。
http://www.meiji.ac.jp/humanity/info/2011/6t5h7p0000005eok-att/6t5h7p0000005epk.pdf 大学院のホームページにも載つた。 http://www.meiji.ac.jp/humanity/index.html 近日中に、大学ホームページのトップページにも載る予定。 学外の方々も聴講自由なので、ぜひお越し頂きたいと思ふ。
今月の文楽。住大夫師がますますお元気にて嬉しきこと限りなし。楽屋で四方山話。これは我が大いなる愉しみなり。今月の聞物は住大夫師、錦糸師匠の三味線。ただただ見事。ことに錦糸師匠の三味線今までで最高の出来なり。聞き逃すべからず。清治は繊細さの欠片もなし。寛治はやや衰ふ。藤蔵に至りては勘違ひの連続。明日も住大夫師と錦糸師匠のみ伺ひに行く。
http://www.despera.com/bbs2/
をごらん頂きたい。私などがつけ加へる何もない。
朗報である。明治大学大学院教養デザイン研究科特別講義に、詩人の佐々木幹郎さんをお呼びすることが決まつた。6月7日(火)16時20分から90分間、「詩人と旅」といふ題で自由にお話し頂く。場所は明治大学和泉校舎。教室は未定。コーディネーターは不肖私が務める。
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